PERFORMANCE
演奏した曲目

メモリーズ・オブ・ユー
ローズ・ルーム
アイ・サレンダー・ディア
黒い瞳
シャレード〜ファッシネーション〜ひまわり〜ツー・ラヴ・アゲイン
マイヤミ・ビーチ・ルンバ
その名はフジヤマ
サンバ・クマーナ
チュニジアの夜
レスター・リープ・シーン
ユー・ドゥ・ビー・ソー・ナイス・トゥ・カム・ホーム・トゥ
スターダスト
恋人よ我に帰れ
小さな秋みつけた
テイク・ザ・A・トレイン
マンハッタン
ス・ワンダフル

別荘地であり、観光客も多いので、幅広い層に楽しんでもらうべく、親しみやすくて
クォリティが高いコンサートを目指した。しかも東京で聞けるコンサートをなぞるのはよそう
ましてそれを水で薄めたようなものにはすまいというのが主催側の心得でした。

第1部(40分)は、秋満ピアノをフィーチャーして(「ローズ・ルーム」など)
スイングジャズと映画音楽(「ひまわり」が終戦の日にマッチ)と
ラテン(「クマーナ」が圧巻)、これは年配の観客に好評であった。
第2部(20分)はイノさんのドラム教室でリズムの進化を解説しながら
ショーマンシップ全開、お客を驚かせ楽しく乗せてしまった。
休憩後の第3部は、モダンジャズとテリーのヴォーカル。
「チュニジア〜」「レスター・リープス・イン」やボサノヴァなど。
ハイライトはやはり全員による「テイク・ザ・A・トレイン」、
アンコールに用意してあったピアノデュオによる「マンハッタン」
ブッツケ本番に近かったが大好評であった。

PROFILE
猪俣 猛 いのまた たけし(ドラムス)

16歳でデビューし、20歳で上京。
21歳で「スイングジャーナル」誌の新人賞に輝き、「ウエストラ
イナーズ」「サウンド・リミテッド」「ザ・サード」「フォース」
などのバンドリーダーを務める。ジャンルを問わないオールラウ
ンドプレイヤーとして第一線でプレイするかたわら、1994年、
「ジャパン・ジャスト・ジャズ・オールスターズ」を率いて
ニューヨーク公演を行い、カーネギーホール、アポロシアターなど
で大喝采を浴びた。
1995年、ジャズ界で個人に与える最高の栄誉「南里文雄賞」受賞。
1996年より、前田憲男を音楽監督に「THEKING」を結成。浜離宮
朝日ホールに於いて日本のジャズの歴史を記録するために、
「キング・オブ・ジャズ−21世紀へ贈る」と題したコンサートを
2000年12月までの全20回シリーズで行う。 
2000年には音楽生活50周年を迎え、朝日新聞社主催による氏の
記念コンサート「リズム&ジャズ」を行なう。
2005年、音楽生活55周年を迎えた。

秋満 義孝 あきみつ よしたか(ピアノ)

終戦時アメリカ軍駐留と同時に入ってきたジャズ音楽に大いに刺激
され、駐留軍のクラブに出演していたバンドに見習いとして入る。
1947年3月コンボ・バンドにピアニストで入団、ジャズの演奏を
始め、4月武蔵野音楽大学に入学しクラシック音楽を学ぶ。
1948年当時の人気コンボ「松本伸と一番オクテット」に入団し
徐々に脚光を浴び始める。
1949年「池田操とリズムキング」入団。在団中にスイングジャズ
ピアニストとして頭角を現し、日本のテディー・ウィルソンと言わ
れるほどに成長する。
1953年同バンドを退団。戦後の日本の軽音楽界にひときわ勇名を
馳せた「鈴木章治とリズムエース」を南部三郎らと共に結成し、
音楽責任者としてリズムエースの黄金時代を築き上げる。
1957年に念願だった自分のバンドを結成。1972〜83年まで
「モーニング・ジャンボ奥様8時半です」にレギュラー出演し、
ファン層を広げる。
青木 弘武 あおき ひろむ(ピアノ)

大阪音楽大学卒業後、関西でプロデビュー、のち上京し、
大隈寿男(ds)トリオに参加。その後独立し、ライブハウスや
コンサートを中心に活動、その歌心溢れるプレイとドライブ感は
ジャズピアニストとして定評がある。今まで、ロン・カーター、
ジミー・スミスなどと共演し好評を得る。1998年、初のリーダー
アルバム『ウェディング』は日本ジャズ賞にもノミネートされた。
1997年より現在まで飛鳥ワールドクルーズに猪俣猛と共に連続
乗船。アレンジャーとしても評価が高い。
ジャンボ小野 じゃんぼ おの(ベース)

9歳頃からギター・エレキベースなどに親しみ、高校卒業後は、
ウッドベースにも興味を持ち柴田恒夫、荒川康男に習う。
20代はサー・チャールズ・トンプソンらアメリカのピアニスト
のグループでジャズのスピリッツを学ぶ。
30代では来日中のスコット・ハミルトンとも共演。
現在は増田一郎氏率いるM・J・Qのレギュラーを初め、鈴木正男
とスウィング・タイム、歌手の菅原洋一らのサポート、若手では
鈴木重子、小林桂などのステージにも参加。寺井尚子グループで
も、全国各地を回っている。
ちなみに愛用している楽器ガスパロ・ダサーロは1600年頃イタ
リアで作られた名器で、その音色は、聴く者の心を忽ち虜にして
しまう不思議な魅力を持っている。
羽毛田 耕士 はけた やすし(トランペット)

中学生でトランペットの演奏、作編曲を始める。大学入学時は、
クラシックを演奏していたが、3年次よりジャズに転向。
都内ライブハウスでライブ活動を開始し、セッションやレコーデ
ィングにも参加する。ビバップのスタイルを発展させたコンテン
ポラリーな感覚のアドリブソロを得意としながら、ジャズにとど
まらず幅広く活動。
リーダーバンドではコンテンポラリーでポップな自作曲を中心に
演奏している。
2001年、リーダービッグバンド「羽毛田耕士ビッグバンド」の
活動を開始する。
2004年、トランペット/アレンジで参加する「JAZZBILLY」が
日本クラウンからデビュー。
右近 茂 うこん しげる (テナーサックス・クラリネット)

若手には珍しく都会的でオーソドックスにスウィングするテナー
マンとして注目を集め、世良譲(P)北村英治(Cla)尾田悟(Ts)
西條孝之介(Ts)五十嵐武要(Dr)らの大御所ミュージシャンと
共演。
1986年、大ベテランの尾田悟とレコーディング。1998年には
人気のハリー・アレンとのテナーバトルを演じ好評を博す。
数少ないクラリネットプレイヤーとしての評価も高い。
現在、自己のドラムレスカルテットの他、北村英治クインテット
藤家虹二オールスターズ、谷口英治クインテット、酒井潮(Org)
カルテット等多くのグループに在籍。
久々に現れた若手モダンスウィング系テナー奏者として全国ライブ
ハウス、コンサート、ジャズフェスティバル等で活躍中。
テリー水島 テリーみずしま(ボーカル)

1960年九州のキャンプでデビュー、「九州にテリーあり」と言わ
れた。
1963年当時最高といわれたナイトクラブ「マヌエラ」の専属歌手
として迎えられ、当時NO.1のバンド、ウエストライナーズと共に
テレビ・ラジオ・コンサート等で活躍。
スイングジャーナル誌新人賞受賞後、トップジャズシンガー、ジュ
ンクリスティーと日劇にて共演、好評を得た。
1971年渡米、みがきをかけて帰国。
1975年に前田憲男・西條孝之介・猪俣猛とABCホールにてリサイ
タルを開催、大好評を博した。
1984年豪華船・ロイヤルバイキングスター号に日本人として初め
てゲスト出演し大好評を博し、世界のエンターテナーとして第一歩
を踏み出した。
その後、数々のリサイタルは絶賛を博し、今や日本ジャズ界の
大御所として名声を轟かせている。
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